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市川海老蔵暴行事件は反社会的勢力との戦い:林田力

  1. 2011/06/09(木) 21:00:07|
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市川海老蔵の暴行事件で、関東連合系の元暴走族リーダーの代理人を務める藤本勝也弁護士(藤本法律会計事務所)は2010年12月16日に予定していた記者会見を急遽中止した。会場の混乱が避けられないことを理由とするが、額面通りに受け取る人は少ない。元暴走族側の過剰なパフォーマンスは、海老蔵が罠にはめられたとの印象を強める。
歌舞伎役者の海老蔵が顔などを殴られ、全治2ヶ月の重傷を負った事件は一大スキャンダルになった。本来ならば善悪は明確である。暴走族などの反社会的勢力との関係を指摘される人物が歌舞伎役者に重傷を負わせた。歌舞伎役者は命からがら逃げ帰り、所持品も失った。失った携帯電話を反社会的勢力が悪用する可能性も指摘されている。本来ならば反社会的勢力に対する恐怖をもたらす事件である。
海老蔵に道徳的に反省すべき点があるとしても、暴走族のような反社会的行為はしていない。それでもメディアは酒癖の悪さなど海老蔵を集中バッシングする傾向にあった。これには2つの理由が考えられる。
第一に酔っ払いへの嫌悪感である。酔っ払いに絡まれて嫌な思いをさせられた人間は少なくない。酔っ払い自身はいい気持ちになっているために始末が悪い。しかも、翌朝になれば、すっかり忘れてしまう。自分が不快感を与えた人間であるという自覚もない。酔っ払いに苦しめられた経験のある人々にとって、服を脱がし、土下座までさせた伊藤リオン容疑者の行為は、痛快でさえある。酔っ払いの酔いも一気に冷めたことであろう。
これまで後進的な日本社会は酔っ払いに対して寛容すぎた。酔っ払いに対して本気で怒ることは野暮であり、大目に見ることが度量というような愚かな発想さえある。酔っ払いに対しては、たとえ我慢できたとしても、あえて硬直的な態度をとって座を白けさせるくらいが適切である。その意味では酒癖の悪さをクローズアップして、人格批判するマスメディアの論調は日本社会の進歩と受け止めることもできる。
http://hayariki.net/cul/show.htm
第二に意外性である。暴走族が人を殴ることは明らかに悪いことである。しかし、社会のダニとまで忌み嫌われている暴走族が悪事を働くことに意外感は少ない。それよりも伝統芸能の継承者であり、それこそ末は人間国宝とも考えられる梨園のプリンスの悪酔いの方がネタとしては興味深い。
以上のとおり、海老蔵へのバッシングにも理由があるが、それが一巡すれば元暴走族側の胡散臭さが浮き彫りになる。もともと藤本弁護士は12月11日に会見を行う予定であった。しかし、海老蔵に暴行を加えた伊藤リオン容疑者が10日に逮捕されたことを理由に16日に延期していた。
その会見を今度は、大勢の記者が殺到して会場に入りきれず、混乱するという容易に想像できる理由で再延期した。ここからは会見を交渉のカードとして利用しているように推測できる。実際、会見延期を報じるネット記事には以下のコメントが寄せられた。
「裏の交渉がまとまらなかったのですね。」
「(会場が)狭い理由以外に間違いなく裏事情があるな。」
「本当の都合は、1円でも多く搾り取るための都合でしょ?」
「うまい金づるになると見込んで海老蔵側の動揺を誘うために大したネタもないのに会見を発表したけれど、予想外の海老蔵側の強気の態度に当てが外れてしまった?」
「弁護士も彼らのグルだろ。品格が全くないもん。」
もともと元暴走族側は裏交渉での示談を求めていると見られていた。元暴走族側の被害届提出への言及も、海老蔵への揺さぶりの一環とされる。元暴走族が海老蔵に負傷させられた証拠となる診断書にも疑問がある。診断書を書いた高木繁・統合的癌治療専門エイルクリニック院長は外科ではなく、ガンの専門医である。
高木氏は「末期ガンにキノコが効く」などと主張する異色の医者である(高木繁『最強・最速の抗ガンキノコメシマコブ―あなたの免疫力を最強にする驚異のキノコの神秘!』サクセスマーケティング、2003年)。元暴走族は何故、わざわざガン専門医に受診したのだろうか。
元暴走族側の怪しさを知る上で、16日に発売された週刊文春2010年12月23日号の記事「海老蔵 vs 伊藤リオン容疑者『スキャンダル・バトル』」は興味深い。記事では海老蔵に負傷させられたと主張する元暴走族は事件後に飲み歩いているとする。また、高木氏についても様々な情報を掲載する(「診断書を書いた医師はあいはら友子夫『末期がんにキノコがきく』」)。
極めつけは関東連合系の暴走族ブラックエンペラーの幹部であったとする金崎浩之弁護士(弁護士法人アヴァンセ)のコメントである。そこでは「海老蔵にとっても示談はメリット」とし、「被害届を取り下げた方が双方にメリットがあるが、海老蔵側が意固地になっている」と分析する。金崎氏は中立的な識者としてコメントしたような装いだが、内容は暴走族側の本音の代弁にしか読めない。
金崎氏はテレビ番組にもコメンテータとして出演し、「海老蔵の経歴に傷が付くのは、困るでしょう」などと主張した。インターネット掲示板では「テレビで関東連合の思惑を語った弁護士」と受け止められ、「海老蔵事件関係の関東連合系人物相関図」にも名前が載った。少なくともメディアが金崎氏のコメントを求めた理由は、金崎氏が元暴走族という経歴を売りにしているためである。海老蔵事件が暴走族など反社会的勢力出身者の特需になっているという嘆かわしい現実がある。
この状況で海老蔵が被害届を取り下げて、示談で済ませたならば、反社会的勢力の無法を許すことになる。海老蔵が暴走族に屈服したという印象を世間に与える方がダメージである。そのために民事介入暴力の専門家・深澤直之弁護士を海老蔵の代理人とした意味がある。
反社会的勢力に弱みを見せれば、成田屋は恐喝され続け、骨までしゃぶられる。同じ伝統芸能の大相撲でも反社会的勢力との癒着が厳しく糾弾された。興行にはヤクザがつきものという考えもあるが、それは伝統的な任侠を念頭に置いたもので、暴走族やチンピラは有害無益である。
海老蔵事件は六本木に巣食う闇組織の実態を明らかにし、壊滅させるチャンスになる。それに貢献することが海老蔵にできる最大の善行である。


市民運動はツイッターやSNSの積極的活用を:林田力

  1. 2011/06/08(水) 20:52:01|
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独裁政権を倒したチュニジア革命(ジャスミン革命)やエジプト革命ではツイッターやソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)が威力を発揮した。これは日本の市民運動にとって参考になる。
大まかに言って日本の市民運動はウェブサイトやメールが普及し、ブログを開始したというレベルである。デジタルデバイドのある日本において、これは大きな前進である。しかし、運動の拡大にはブログはもとより、ツイッターやSNSの積極的活用に進むことが望まれる。
静的なウェブサイトもツイッターのような相対的に新しいサービスも、ブラウザ経由で情報をアクセスする点で同じである。それ故に既にウェブサイトを開設しているのだから、新たにツイッターなどを開設する必要はないとの考えは一理ある。
また、情報の保存の点でも静的なウェブサイトは有効である。基本的にブログやツイッター、SNSはサービス提供者のサイト上で更新する。そのためにサービス提供者に削除されたら、情報発信者には何も残らない。
これに対し、静的なウェブサイトは自己のパソコンで作成したHTMLなどのファイルをFTPでアップロードする形である。このため、サービス提供者に削除されたとしても、別のウェブサイト提供サービスと契約して、自己のパソコン内に保存していたHTMLファイルなどをアップロードすれば、URLは別になるが、同一内容のウェブサイトを復活できる。
この点は権力や大企業の妨害を考慮する必要がある市民運動にとって重要である。このため、いくらツイッターなどの新しいサービスが発達しても、特定のサービスに依存することは危険である。依然として静的なウェブサイトをネットの情報発信の基本とすべきである。本記事では市民運動に新たなサービスの活用を推奨するが、静的ウェブサイトにからの置換を求めるものではない。静的ウェブサイトに加えて新たなサービスの活用を推奨する。
新たなサービスの活用を推奨する大きな理由は、ウェブとツイッターなどでは情報の発信力が異なるためである。ウェブサイトは基本的にURLを入力した人か検索エンジンの検索結果から流れた人しか見ない。URLを知っている人は直接交流がある人である。検索エンジンからの訪問者も、関連するキーワードを入力した人であり、問題意識を元々有していた人である。
マンション建設反対運動に反対運動そのものへの関心はないマンション購入検討者が関心を抱くというようなことはあり、それを積極的に呼び込むように工夫することは正当である(林田力「マンション建設反対運動の団体名の一考察」PJニュース2010年12月11日)。しかし、同時に限界があることも理解する必要がある。
http://www.pjnews.net/news/794/20101210_5/
ウェブサイトが世界中からアクセスできるということは事実であり、安価に世界中に情報発信できることはネットの革命的な利点である。しかし、世界中からアクセスできるということと、世界中の人がアクセスするということは異なる。多くの人に知ってもらう点では依然として既存メディアの影響力は大きい。ネットを過小評価することは誤りだが、過大評価も誤りである。
読み手が積極的にアクセスしなければならない静的ウェブサイトと異なり、新しいサービスはプッシュ型の情報配信の仕組みがあり、情報を伝播させやすい。ブログはPingやトラックバックという機能によって、記事の更新を他のサーバに伝えることができる。
ツイッターやSNSにはフォローや友達という仕組みがある。自分のページを開くとフォロー先や友達の新着情報が見られる仕組みである。この仕組みはブログでも可能だが、読み手側がRSSリーダーに登録する必要がり、ツイッターやSNSほど手軽ではない。この点が字数制限のある点でブログよりも機能が劣るツイッターがメディアとして注目される一因である。
フォロワー(フォローする人)や友達は少しの努力で増やすことができる。自分がフォローすればフォローを返してくれる人も多い。SNSでは友達を募集するコミュニティーが存在し、そこで友達を募集でき、友達募集者を見つけることもできる。フォロワーや友達を増やすことで静的ウェブサイト以上の情報発信力を得ることができる。
http://www.hayariki.net/cul/pjnews.htm
「『幸せになろうよ』第7話、優しさからのドロドロ展開が月9の新機軸か」リアルライブ2011年6月1日
http://npn.co.jp/article/detail/12289646/
「『リバウンド』第6話、コメディの中でシリアスさが際立つ栗山千明」リアルライブ2011年6月3日
http://npn.co.jp/article/detail/07149539/


影山明仁『名作マンガの間取り』間取りからキャラや時代を想像:林田力

  1. 2011/06/07(火) 20:57:07|
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本書(影山明仁『名作マンガの間取り』ソフトバンク クリエイティブ、2008年)は建築コンサルタントである著者がマンガを中心としたフィクション作品に登場する建物の間取り図を作品中の描写を元に作図したものである。
取り上げる間取りは『ドラえもん』の野比邸や『サザエさん』の磯野邸など住宅がほとんどである。一方で『ナニワ金融道』の帝国金融や『機動警察パトレイバー』の特車二課のように事業所の間取りもある。マンガに登場する間取りを集めただけでも斬新な企画であるが、事業所の間取りが出てくるとは想像できなかった。著者の設計経験とマンガ読書量の豊富さがうかがえる。
実際に作品中の建物の間取りを作図すると、様々な無理や矛盾が生じており、著者の想像で補ったという。設計士から見た突っ込みどころを、ユーモラスにコメントしている。
著者は「あとがき」で家族仲がよく、特に母親の存在が大きい作品の建物は作図しやすかったと感想を述べる(110頁)。人間関係における住環境の重要性を示唆している。これは現実世界の問題であるが、マンガの世界にも適合している点が面白い。
本書で取り上げた作品の中で記者(林田)にとって最も馴染み深い作品は『ドラえもん』である。実際に野比邸の間取り図を見ると部屋数の多さに驚かされた。居候のドラえもんを除外すれば、子ども一人の三人家族であるが、間取りは5DKである。のび太の幼い頃は祖母と同居していた描写もあり、2階の一部屋が祖母の部屋だったと推測される。1階には居間(和室)と洋室(応接室)が別々に存在する点が特徴的である。
気になった点は、のび太の机が南向きの窓に面して置かれている点である。直射日光が当たる南向きの場合、一般に集中力が途切れがちで、落ち着いて勉強しにくい。のび太は、机に向かうと5分で欠伸が出る体質の持ち主であるが、机の向きも一因と思われる。机の向きを変えると少しは勉強好きになるかもしれない。
これに対して『あたしンち』の立花邸では子ども部屋を北側の部屋(窓は東向き)にしている。立花家では両親がユニークなキャラクターであるのに対し、相対的に子ども達は常識人である。キャラクターと間取りの相関が感じられて興味深い。
日本人は農耕民族としての伝統のためか、陽光を最大限に享受できる南向きの人気が高かった。しかし、日照が強い南向きは勉強部屋に向かない上に、急激な室温上昇や壁紙・家具・カーテンの退色などのデメリットがある。反対に北向きの窓ならば年間を通して柔らかく安定した採光が得られる。また、植物は南を向く性質があるため、北向きの窓は緑地への眺望に適している。南向き神話は文字通り神話になっている。
それを端的に示したのは記者が原告となって、マンション売主の東急不動産を訴えた裁判である。この裁判では東京地裁平成18年8月30日判決で北側の窓の日照阻害などを理由に売買契約の取消しが認定された(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』ロゴス社、2009年)。
この判決は不動産売買契約について消費者契約法に基づく取消しを正面から認めた点で先例的価値を有するが、北側の窓からの日照阻害を重要事項と認定した点にも意義がある。日照といえば南向きという図式の崩壊が裁判でも裏付けられたのである。
本書はタイトルに名作マンガとあるように、古い作品が多いが、その中で相対的に新しい作品に『カードキャプターさくら』がある。この作品の木之本邸は一戸建てであるが、階段を南側に配置しており、南からの居室への日照は期待できない。ベランダは西向きに設置している。ここには南向き神話は見られない。時代別に作品を整理して間取りを分析すると、時代の傾向も発見できる。
間取り図からキャラクターの特徴や作品の時代に思いを馳せることができる。本書は様々な点で想像力を刺激させてくれる一冊である。
http://www.hayariki.net/cul/madori.htm
「『リバウンド』第5話、スリムとデブの相武紗季の心情の違い」リアルライブ2011年5月30日
http://npn.co.jp/article/detail/13443694/
「『JIN-仁-完結編』第7話、廓言葉で花嫁を演じた中谷美紀」リアルライブ2011年5月31日
http://npn.co.jp/article/detail/92915400/


『蘭陵王』の感想:林田力

  1. 2011/06/06(月) 20:33:16|
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本書(田中芳樹『蘭陵王』文藝春秋、2009年9月30日発行)は中国の南北朝時代を舞台にした歴史小説である。著者はスペースオペラ『銀河英雄伝説』やライトノベル『創竜伝』で有名であるが、中国史にも造詣が深く、著作には中国の歴史小説も多い。

日本人の中国史への関心は非常に偏っている。三国志への関心が圧倒的に高く、残りが春秋・戦国時代で占められると言っても過言ではない。他は遣隋使・遣唐使や元寇、日中戦争のように日本史との関係で語られる。中国の悠久の歴史を踏まえると、この状況は非常にもったいない。

これは著者の問題意識でもあり、伝説的な女性武将・花木蘭(ディズニー映画「ムーラン」のモデル)を題材にした『風よ、万里を翔けよ』、中国最大の英雄・岳飛を描いた古典「説岳全伝」の編訳『岳飛伝』などを発表している。本書の主人公・蘭陵王(高長恭)も日本では雅楽・蘭陵王(陵王、蘭陵王入陣曲)以外には知られていない悲劇の武将である。

その蘭陵王の半生を軸に隋の統一へと向かう南北朝時代末期の動乱を描く。本書の特徴は正史に依拠している点である。正史とは国家が正式に編纂した王朝の歴史書である。編纂当時の王朝の正当性を示すために、前の王朝の君主が必要以上に悪く書かれることもあるとされる。

本書でも引用した正史により、蘭陵王が仕えた北斉の君主の暴虐や佞臣の専横がウンザリするくらいに書かれている。史料批判の立場からは北斉を貶めるための記述と割り引いて考えるべきとなるが、その記述には編纂時の王朝を賛美する目的よりも、権力そのものの醜悪さへの反感が感じられてならない。中国の史書には諫言によって理不尽にも罰せられた司馬遷(『史記』編纂者)に象徴される反骨精神の伝統がある。それ故にこそ多くの作品で権力に批判的な記述を繰り返している著者が正史を積極的に引用していると考える。
http://www.hayariki.net/cul/100307ran.html
本書では正史に依拠することで、日本で使われている故事成語の誤解も指摘する。たとえば大本営発表で使われた「玉砕」という言葉は「死んでも節操を守る」という意味であって、「敗北」や「全滅」の意味は全くない(84ページ)。日本人の歴史歪曲や歴史美化は世界から批判されているが、中国人の歴史への真剣さに学ぶべきである。

本書は正史に依拠した「固め」の歴史小説である一方で、道姑(女道士)・徐月琴という架空のヒロインを登場させることで「軽さ」も出している。徐月琴は山中で修行していた設定であるため、社会の動きを知らない。そこで徐月琴を都に呼び寄せた父親の徐之才が北朝の歴史を説明する。これは南北朝時代の歴史に疎い読者に対する説明にもなっている。
http://www.hayariki.net/cul/
有能な皇族や臣下が暴君の嫉妬や奸臣の讒言によって次々と虐殺される暗澹たる状況の中で、明朗でユーモア精神に富み、辛辣な皮肉も口にする徐月琴の存在は物語を華やいだものにする。蘭陵王は知勇兼備の武将であり、外敵には果敢に戦った。しかし、国内の政治の乱れには無力であり、改善しようともしなかった。そのために蘭陵王のみの視点では、やりきれなさが残る。徐月琴が言いたいことを言うことで、現代人も楽しめる小説に仕上がった。

『ONE PIECE 50巻』回想シーンに感動:林田力

  1. 2011/06/05(日) 11:36:06|
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本書(尾田栄一郎『ONE PIECE第50巻』集英社、2008年6月発行)は週刊少年ジャンプで連載中の漫画である。1997年の連載開始であり、既に10年以上続いていることになる。連載漫画が単行本50巻になるまで続くというだけでも、ちょっとしたニュースになるが、この50巻はストーリーの節目という意味でも意義深いものがある。

「ONE PIECE」は架空の世界を舞台に、世界の最果ての地にあるとされる「ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)」を求める海賊の冒険を描く漫画である。主人公モンキー・D・ルフィ率いる「麦わら海賊団」は、この50巻目で世界を半周するところまで辿り着いた。この巻の副題は「再び辿りつく」である。そこには、この意味が込められている。「ONE PIECE」の世界も地球と同様、球体になっており、世界を一周すると元の地点に戻る。物語は50巻かけて、ようやく折り返し地点に近づいたことになる。

「ONE PIECE」は仲間とともに冒険を続け、悪人と戦うという少年漫画の王道を行く作品である。しかし「ONE PIECE」が人気漫画の座を長期間保持し続けた理由は、王道を忠実に守っていたからだけではない。「ONE PIECE」の魅力はストーリーの深さにある。

敵を倒す、悪を倒す。これが少年漫画の王道である。しかし、こればかりでは次第に戦いの意味すら希薄化してしまう。これに対して「ONE PIECE」では虐げられた側の痛みや憤りが丁寧に、時には長い回想シーンで描写されている。だから敵を倒した時の感動も大きい。

「ONE PIECE」も連載が長期化するにつれ、戦闘シーンでグダグダ感が生じたことは否めない。仲間が増えるにつれ、それぞれの見せ場を出さなければならず、戦闘が長期してしまう。これはアラバスタ編以降で見られるが、特にエニエスロビーでは顕著であった。それでも「ONE PIECE」は感動的なエピソードが挿入される点が優れたところである。それは50巻にも当てはまる。

50巻では世界政府に従う海賊の王下七武海ゲッコー・モリアとの戦いが展開されたスリラーバーク編が完結する。正直なところ、私にとってスリラーバーク編に対する評価は高くなかった。お化け屋敷風の雰囲気が、これまでの「ONE PIECE」の舞台と比べて違和感がある上、ボスキャラに威厳がなく、あまり強そうに感じられなかった。
http://www.hayariki.net/bleach.htm
しかし、完結編の50巻は、それまでの停滞を打ち消して余りあるほど感動的な内容であった。特に読み応えのあるのが、麦わら海賊団の新しい仲間になるブルックの回想シーンである。宴会で作中歌「ビンクスの酒」の演奏中に回想シーンに入る。そこで描かれる過去の回想シーンは現在のシーンと上手く混ぜられている。

回想シーンも楽しかったルンバー海賊団時代と、仲間が死に絶えた跡に一人で魔の三角地帯(フロリアントライアングル)を彷徨っていた頃の2つの時間帯を並行に描いている。陽気な過去と絶望的な過去、そして新しい仲間と出会い、未来への希望が生まれた現在が作中歌「ビンクスの酒」を背景に対照されている。この回想シーンがあればこそ、ブルックの「生きててよかった」という言葉に実感が生まれる。

「ONE PIECE」の構成力の秀逸さを再認識することができた。物語上は50巻で半分である。ということは100巻以上続きそうである。これからも笑いあり、感動ありのストーリーを描き続けて欲しいと思う。


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